恋のチャンスを手に入れた瞬間【ゆきりな・29歳】

私の人生で一番の恋のチャンスは今の旦那様との出会いです。私は当時、運命だと勘違いするほど好きだった彼氏にフラれて「もう恋愛したくない」と落ち込んでいました。そこに友人は私を勇気づけてくれようとして、たまたま紹介されたのが旦那様でした。向こうも彼女と別れたばかりで出会いを探していたそうで、私は出会いなんて求めてなかったけど、友人の説得によって連絡交換をして会ったりするようにもなりました。何度か2人で会ううちに元カレの愚痴を聞いてもらうようになり、夜中まで公園で色々な話をして過ごすことが何度もありました。そんな落ち込んでいた私を慰めることで「守ってあげたい」「ほっとけない」と感じてくれたらしいです。お互いにまだ若かったけど、結婚を意識した付き合いしかしたくないと考えていたので、喧嘩や別れ話もたくさんしたけど付き合うことになり、そのまま妊娠をして結婚することが出来ました。あの紹介がなかったら、もしかしたら出会ってなかったかもしれません。私はいつまでも元カレとの恋愛を引きずってたかもしれません。もう恋愛したくないと思っていた私に、また恋愛をさせてくれて幸せな結婚をさせてくれてるチャンスをくれた旦那様に、今はとても感謝しています。
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舞い込んだチャンス…勇気を出して掴みました【まなか・30代】

私は小学生の頃からずっと、雑誌に載っているきれいで可愛いモデルさんに憧れていました。とはいえ…私は大人になっても身長151cmと低く、体型もモデルさんとは程遠く、憧れは憧れのままでした。

そんなとき、表参道に買い物に行きました。帰りに駅までの道のりを歩いていると、一人の男性から声をかけられました。

最初はナンパかと思い無視しようとしたら、きちんと名刺を差し出してきたので立ち止まると、彼は美容師さんでした。

「ヘアカタログに載ってくれる撮影モデルを探しています」
と言われ、時間もあったので、話だけでも聞くことに。
簡単に言えば、美容院によく置いてあるヘア雑誌に載ってほしい…ということでした。もちろん謝礼もあります。

近年はスカウトを名乗った詐欺に騙される事件も多いですし、一瞬迷いましたが、無料でヘカット・カラーをしてもらえるということで、挑戦することにしました。

一週間後にその美容院に行き、今風のエアリーなボブにイメチェン。そして撮影は、小さいながらきちんとしたスタジオで、プロのカメラマンさんによるものでした。
緊張しすぎて固まる私を笑わせてくれたり、顔の角度や表情などアドバイスされて…憧れていたモデル体験をできたんです。
撮られた写真は、私なのに私じゃないような綺麗なしあがりで感激しました。

それからも三回ほど、そのサロンのモデルとして雑誌に載せてもらいました。掲載された雑誌は今も宝物です。

スカウトを無視せず、思い切って話を聞き、引き受けて本当に良かったです。
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チャンスはもう掴んでいた。【ゆでたま30歳】

キャバクラに転職して3年目くらいの頃。レギュラーになり、お客さんを沢山掴みたい、毎日熱く奮闘していたあの頃。日々先輩のテクニックを盗んだり、知らないお酒を覚えたり、吸わないたばこの銘柄を覚えてみたり…。やったことが無いことは分からない。お酒をほとんど飲んだことがなかった私は、お酒を飲み比べ、たばこも吸ってみる。先輩真似をして大声で笑ったり、0センチ接客をしてみたり…。でも私にはどれも似合わない接客スタイルでした。そうだ、人の真似をしてもその人になれる訳ではない。だったら自分の色を全面に出して行った方が良いのでは無いか。と思っていたちょうどその頃、店長に、こんなことを言われました。「名刺に最初から連絡先を書いてあるより目の前で書いて渡した方が印象に残ると思うよ。特別感出るでしょ」「手帳を持ちなさい。手帳に予定を書きなさい。」手帳を持ちだしてからお客さんの数がグンと増え、予定も把握しやすくなりました。でも、名刺に連絡先を書いて渡したってどうせ捨てちゃうんじゃ…と思いつつ、まあ試すだけやってみるか。と30台後半のまだ若そうな男の人に名刺を渡しました。その人は珍しく連絡をしてくれました。すると、その人はその約2年後に転職。それからトントンと出世し、今では大人数の社員を抱える社長になり、今では私の大事なお客さんになっています。もしあの時、あのような対応をしなかったらきっとこのお客さんと繋がることはできていなかったでしょう。あの時、未来でこんな事が起きるなんて想像もしていなかったですが、チャンスはあの時、もう既に掴んでいたのだなと思います。そのことを店長は覚えていないようですが、私はとても感謝しています。
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遠慮はいらん!【ゆうゆう・20代】

私がチャンスに出会ったのはまだ私が21歳の時でした。
大学在学中の就活の時期のこと。私は音楽を勉強していましたので音楽に関われるお仕事を、と思っていたのですが求人はとっても少なくなかなか見つかりませんでした。周りはどんどん内定をいただいていて、私はただ焦ってしまい何から始めていいのかわからないような状態になってしまっていたのです。
そんな時、私が高校の時教わっていた楽器の先生、師匠からうちで働かないか。とお話をいただきました。音楽のお仕事に携われて、さらに師匠と一緒にお仕事ができる、こんな幸せはないと感じました。が、それと同時に、とっても重くのしかかる不安と緊張とプレッシャーがありました。私でいいのか、期待に応えられるのか、頭の中そればかり。
答えを出せずにいたとき、まだ楽器を始めて半年の友達が、一緒に練習やろうよと言ってきました。友達といっても、5歳上の先輩でした。私は中学からずっと楽器をやって来ていたので、すぐ吹けたのですが先輩はなかなかできません。だけれども、うまい人とやるとうまくなる気がするから一緒に練習できて嬉しいと言ってきました。上達するのに遠慮していては伸びない、それをその先輩から学んだ瞬間でした。その先輩のおかげで、挑戦の意味もこめて、頂いたチャンスを真っ向から受け、今は師匠と一緒の環境で働いています。チャンスを自分から掴みにいかなくてはいけないときもあると改めて感じた瞬間でした!脱毛津田沼で検討している方はこちら

人のつながりのおかげでチャンスをゲット!【りんごジャム・40代】

私は父の死後、ふさぎがちな母が心配で、30代前半で今までの仕事を辞めて実家に戻りました。でも、実家のある地域は田舎なので、簡単に正社員の仕事は見つかりません。しかも仕事を見つける私なりの条件に母との時間を多く持ちたかったので、“残業の無い所””を探していたので、なおさらなかなか仕事は見つかりませんでした。それでも、生活をしていくために派遣で仕事を探して、時給は低くてもなんとか派遣社員として役所で仕事をすることができました。

その派遣先で出会った方は、とても親切な嘱託員の女性で、なにかと面倒をよく見てもらいました。その方も以前派遣で仕事をしていたそうで、こちらの事情をよく理解してくれました。

私は、派遣社員なので、派遣期間の更新時期が徐々に近づいてきたある日、その方が私に1つのチャンスをくれたのです。それは、出先機関の嘱託員の募集情報でした。その時の仕事内容とは異なり、窓口業務でしたが、派遣社員よりも条件が良くて、私の希望条件にもあっていたので、「きっとこの仕事なら大丈夫よ」と私の背中まで押してくれたのでした。

彼女が募集情報を教えてくれて、背中を押してくれたおかげで、生活が安定しました。さらに、母との二人暮らしを始めたことで、母も元気になり、今では親子旅行をしたりするくらい楽しい日々を過ごしています。私たち親子を救ってくれたあの時の彼女に、今も感謝しています。リゼクリニックの割引予約に興味がある方はこちら

毎日怒られたことでチャンスを手に入れた!【りった 20代】

私が高校3年生の時の話です。私の学校は進学校でほとんどの生徒が国公立大学に進学するような高校でした。小学校から合唱部に所属していた私は高校でも合唱部に入り、3年間部活に明け暮れて勉強をおろそかにしていたため、成績はあまりよくありませんでした。しかし、部活はかなり真剣にやっており、朝練もして昼休みも練習、部活後も自主練習を欠かしたことはありませんでした。そうした努力が認められ、2年生の後半から部長に就任して頑張っていました。部長に就任してからは毎日部活前に職員室の顧問のもとを訪れ、その日の活動について相談して予定を決めていました。顧問はとても厳しく、練習方法や部員のこと、部活の予定の立て方や合唱の精度について、毎日職員室の真ん中で大きな声で怒鳴られていました。理不尽なことを言われることもありましたが、私の行き届かない部分を痛いくらいに指摘され、できない自分に腹が立ったりして毎日とてもへこんでいました。それでもめげずに「よい合唱をするため」と思い自分の思いや考えを一生懸命顧問に伝えよう、きちんと計画を立てよう、と自分なりに考え行動していたら、だんだん責任をしっかりと果たすことができるようになってきました。そうしてコンクールでもよい成績を残すことができ部活は引退しました。引退したのは10月で、私は看護大学を受験する予定でした。一般入試で受けようと思っていたのですが、なかなか成績が上がらず悩んでいたところ、担任と学年主任の先生が志望校の推薦入試を受けるよう勧めてくれました。どうして私を推薦してくれるのかきいたところ、毎日激しく怒られながらもめげずに部長としての役割を果たし、3年間部活に真剣に打ち込んでいる姿は素晴らしかったから、と言っていただけました。推薦入試の結果は合格で無事志望校への入学がきまりました。面接でも自分の考えをはっきりと話すことができたのは、緊張しながらもしっかりと話すことができる力を与えてくれた顧問のおかげです。人間として成長させてくれた顧問のおかげで人生最大のチャンスを手に入れることができたので、今ではとても感謝しています。介護脱毛

まったく反対の考え方でチャンスをゲット

彼氏無し・アラフォーの婚活で連敗続きでした。
相談所に登録してお見合いを繰り返すことが中心の活動です。
やっぱりアラフォー女性は婚活市場ではかなりの苦戦を強いられることを実感していました。
もともと恋愛経験も豊富な方ではありません。

そんなときに出会ったのが今の夫です。
なかなかの男前で女性にも優しく、紳士的な人です。
バツイチで特に高収入というわけでもないのに女性から寄ってくるというタイプでした。
外国人ですが、ネットの趣味のフォーラムを通じての出合いです。

それまでの私は男性と知り合うチャンスがあってもとても用心深いほうでした。
一緒に食事に行くとかグループで遊びに行くのはいいのです。
特に外国人男性となると遊び相手としての女性を探している人が多いものと思っていたのです。

だから彼から「遊びに来ませんか」と誘われたときにも危ないかな、と思いました。
でも同時に「このまま思い切らないでいたらずっと独身かな」という気がしたのです。

以前は守りの姿勢が強い考え方をしていました。
「浅はかな行動をして失うものは大きい」という考え方です。
ところが今回は「何も行動しないと得る物もない」という考えが浮かんだのでした。

さらにアラフォーなんだし、つかの間の恋に終わっても失うものはない。
アラフォーなんだし少しくらいの冒険の経験も悪くない。
逆にロマンチックな経験ができるじゃないか、などという思いが沸き上がってきました。
それで招待を受け、彼に会いに行ったのです。

腹をくくった、というところでしょうか。
後にも先にもこんな考え方が出たのはこの時だけです。

今考えると運命の相手を見つけて一緒になる最大のチャンスだったと思います。
いつものように守りの姿勢中心の考え方をしていたら、きっと彼との結婚はありませんでした。

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部署異動のチャンス

商品企画部の面接に通り入社しましたが、入ってすぐに企画部が縮小され経理の人が足りないから経理と兼務でお願いしますと言われてどちらもお手伝いのような中途半端な仕事についてしまいました。
それから何年かたち、商品企画部を改め商品開発部が出来るらしいと噂に聞きました。噂の段階から商品開発部ができたら異動したいと上司にお願いしました。商品開発部の部長になると噂されていた人の仕事を残業してコッソリ手伝ったりしました。どうしたら商品開発部に異動できるか毎日考えました。何かで結果を残せたらと思いましたが、営業マンじゃないのでなかなか難しく、縮小された商品企画の仕事は、ほとんど無くなり経理の仕事で結果を出すのは主任にさえなっていない私にはなす術がありませんでした。
しかし、ある時、メーカーの人と接待があるんだけど誰か一人女の子一緒に行ってと言われて誰もやりたくない接待要員ですが、立候補しました。この接待のあと仕事がうまくいったら少しは認めてもらえるんじゃないかと目を輝かせて頑張りました。
そのメーカーの専務は前衛的な人で接待の場所を若者が集う方のクラブに指定してきました。お酒が足りるように気を配り不快な事はないか目を配りました。ダンスするキャラじゃないのに誘われてダンスまでしました。その成果かわかりませんが、仕事もとれました。
しかも、その専務が「接待に来た子経理なんだって?それじゃあうちと接点ないじゃない。あの子を営業とか企画とかに部署変えてよ。」とうちの専務に言ってくれたのです。ナイス、メーカーの専務。と思いました。その後、希望通り商品開発部に異動出来ました。しかし、1年後、会社は倒産。でも欲しいものは声をあげ、手を伸ばさないと届かないという事を学びました。

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10年頑張った先に訪れたチャンス

大学を卒業後に勤めたメーカー系小売業の仕事は関西の同族会社でした。職場の同期、先輩、上司に恵まれていたのですが会社の体質や方針に合わず苦労しました。実家暮らしではありましたが辞めるなら次の仕事を見つけてからでないと辞めたくなかった。でも毎日の過酷な労働で疲れ果てて転職活動する元気もなく、気がつけば10年経とうとしていました。その10年の間、毎日辞めたいと思いながらも自分なりに精一杯頑張りましたしお客様とも良い関係を築く事もできました。そして職場の人間関係に恵まれていたおかげで頑張ることができました。
ただ10年目を迎えるとなった時、この先さらに10年その会社にいる自分を想像した時、幸せな自分をイメージすることが出来なかったのです。そう気付いたとき転職しようと考えました。そして亡き父が創った会社でいつか働きたいと思ったのです。外資系の企業の日本支社だったので英語が出来ないことには仕事にならないので英語の勉強を再開し、貿易に関わる勉強も始めたころ、父の後に会社を継いだ方から声がかかったのです。その方には「父の会社でいつか働きたい」など話したこともなかったのにお電話を頂き「お父様の会社で働いてみる気はありませんか?」と声をかけていただいたのです。私としては「いつかは」と思いはありましたが、どこか別の会社で少し修行してからお願いしようと思っていたのに先方から声をかけて頂けてビックリしました。社長は「もしここで働きたいという思いがあるなら、わざわざ遠回りしなくても、ここで勉強しながら働けばいい」と言ってくださったのです。
前の会社で10年働いていた間、辞めたいと思ったのは1000回以上あったと思います。でも辞めずに頑張った先に夢のようなチャンスが待っていたのです。もしもっと前に辞めていたらこの会社で働くチャンスは訪れなかったと思うのです。つらかった10年間が報われた思いでした。10年頑張った先にこのチャンスが訪れ、自分でそれを掴みとったことが本当に幸運でした。
今現在父の立ち上げた会社に入って10年が経ちました。この十年間に結婚、出産、仕事復帰をしました。育児、家事、仕事の両立は簡単ではありませんがどれも今の私にとって欠かせません。
人生の中でチャンスは何回訪れるか分かりませんが、訪れたときにそれを自分に引き寄せ掴むことが大切だと思います。

【ロージー・40代】http://bridaleste.com/

結婚という人生最大のチャンスを手に入れた

20代後半から30歳前半にかけて、友人たちは次々と結婚してゆき私は完全に人生列車に乗り遅れていました。この頃必須に合コンしたりお見合いしたり婚活パーテイーに出席したりと、とにかく結婚に向けて必死でした。しかしそれでも36歳になっても全くご縁がなく、このままずっと働いて1人で生きていくのかと悩んでいました。
そこへ友人から知人の知人に独身の人がいるから会ってみないかと言われました。その人は仕事の関係で地方の田舎に住んでいました。私はとにかく結婚したらお洒落な都会に住みたいと思っていましたので、以前の私なら断っていた話でしたが、この年になって住む場所にまでこだわっていたら結婚できないと、とりあえず会ってみようと思い会いました。
会うと感じの良さそうな人でしたが、自分より年下だからきっと断られると思いました。メール交換して相手からも頻繁に連絡が来るようになりましたが、ここでも今までの私なら面倒だと思い毎日は送らなかった返信をすぐに送り、楽しかったよというアピールをしました。
当時の私はそれまでの自分のキャラクターと全く違う人を演じていました。しかし今思えば素の自分は女性なのに男性ぽくいつも友達としかみられなかったので、可愛らしい人を演じることで結婚という人生最大のチャンスを手に入れられたと思います。

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